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インストラクターインタビュー
-ご出身はどこですか?
三重県です!
19歳までいました。
-名古屋の専門学校に通ってましたよね?!
はい。
専門学校時代は2時間かけて名古屋に通ってました。
1限に行くためには始発に乗らないといけなくて…(笑)
しかも自宅から最寄り駅まで車で30分、さらに乗り換え3回と学校にたどり着くまで大変でした(笑)
-小さい頃はどんな子どもでしたか?
わがまま、暴れん坊、お兄ちゃんとよく喧嘩する・・・
で、言うこと聞かないと山に連れて行かれてました(笑)
良く言えば活発な子ですね(笑)
-活発ってことはスポーツなどもやっていましたか?
やってました!
小学校の時はソフトボールで地区3位まで上り詰めました。
あと、ドッヂボールも強かったです。
中学高校はバスケットボールをやっていました。
中学の時は学校対抗駅伝にも出場したことがあるんですが、大会で転ばされて「駅伝向いてない・・・」と思い辞めました。
あとスイミングもやってたんで一応四泳法できます!
-すごい!スポーツ少年!!それでダンスはいつ始めたんですか・・・?
バスケで進学や就職を考えてたんですが、たまたま中学の親友がダンスをやっていて、その繋がりでダンススタジオに行ったんです。
それがダンスとの出会いですね。
ジャンルはベーシックなHIPHOPでした。
-そこでのダンスがバスケを辞めるくらい楽しかったってことですか?
いや、それが全然楽しくなかった。
むちゃくちゃ楽しくなかったんですよ(笑)
当時の自分はバスケ部のキャプテンで、周りからもチヤホヤされていたんです。
そんな自分が鏡の前に立って踊っている姿がめちゃくちゃダサくて・・・
「自分の身体ってこんなに動かないのか」と思うのと同時に、先生たちの動きを見て、「同じ人間なら自分もできる」って思ったんです。
どの口が言ってるんだって話ですが、負けず嫌いの性格が出ましたね。
だから楽しくてと言うより悔しくて始めた感じです。
-そこからダンスの専門学校に行こうと思ったきっかけは何だったんですか?
体験入学で腹筋をやったんですけど、実は10回もできなくて・・・
その姿を見た講師の先生に「ダンサーになるのにこんなんもできないのか?」的なことを言われ、「そしたらここでやったるわ」と言う負けず嫌い精神に火がついたのがきかっけですね。
基本的にコテンパンにされることが多いですね。
頭撫でられた記憶や「お前はすごい」って言われた記憶はないです。
-家族の反応はどうでしたか?
めちゃくちゃ反対されました。
元々ダンスを始めるってなった時も反対されたんです。
ずっと続けていたバスケを辞めてまでやりたいと言ったらお母さんは号泣、お兄ちゃんはブチギレ、みたいな・・・
なので専門学校なんて以ての外でした。
でももうバスケへの熱はなく、とにかくダンスがやりたい一心で、「スタジオの発表会でセンター取ったら入学させて欲しい」と頼みました。
そこのスタジオは実力でフォーメーションが決まるタイプだったので、めちゃくちゃ頑張りました。
それでセンターを勝ち取り、親にも認めてもらい専門学校に入学することになりました。
その時に「ダンスで食べていこう」と思いましたね。
-専門学校時代はどうでしたか?
いろんなジャンルをやりましたね。
HIPHOPはもちろん、ジャズやテーマパーク、タップもやりました。
金髪赤メッシュでしたけど、全身タイツでバレエもやってました。
家から学校までが遠かったので、何度もめげそうになりましたが、「遠いからこそ行かなきゃ!」と言う気持ちでいたら2年間全く休まず皆勤賞でした。
皆勤賞で電動歯ブラシもらいました(笑)
-専門学校を卒業後はテーマパークで踊られるわけですが、HIPHOPからのスタートで、どうしてテーマパークダンサーになろうと思ったんですか?
東京から来てくれる先生で東京でバックダンサーをやっている方がいたんです。
それで自分も東京に行きたいと言う気持ちになり、その先生に「東京に行きたいです!」と言ったところ、「アンタに何ができるの?東京に行くなら何か一つ手に入れて行きなさい」と言われ、東京と大阪のテーマパークのオーディションを受けることにしました。
つまりテーマパークが東京に来るきっかけになったんです。
-テーマパークでのお仕事はどれくらいやっていたんですか?
2年間です。
自分はバックダンサーになるために上京してきたので、最初から長く続けるつもりはありませんでした。
でも、「1年で辞めてしまうのはやったと言えるのか?」と思い、やりたいことと直接は結びつかないけれど、2年間は続けようと思って始めました。
-テーマパークを辞めてからのことを教えてください。
辞めて2年くらいはアルバイトをしてました。
辞めてから「自分がやりたいことをやろう」と思っていましたが、実際はなかなか厳しく、自分のレッスンと、イベントでナンバー出展するために週2〜3回踊る程度でした。
-そこから数々のアーティストのバックアップをされるわけですが、そういった仕事がたくさん出来るようになったきっかけは何かあったんですか?
地元のダンススタジオの先生が「東京でダンサーを募集しているオーディションがあるから受けてみたら?」と声をかけてくれたのがきっかけでした。
その時はダンサーとしては受からなかったんですが、アシスタントとして採用してもらい、たくさん勉強させてもらいました。
そこで熱心にアシスタント業をこなしていった結果、バックダンサーの仕事も少しずつ増えてきました。
アルバイト生活から一変、人生が180度変わりましたね。
あのアシスタントの経験がなければ、今の自分はいないと思います。
きっかけは小さくても、それがのちに大きなものに変わっていくこともあるので、これからこの業界を目指す人にはとにかくいろいろとチャレンジして欲しいです。
最初は「怖い・・緊張する・・不安・・」と言う気持ちもあると思うんですけど、その中で1つだけでもいいからチャレンジしてみると、そこから絶対広がると思う。
今って情報がありすぎるんですよね。
-情報がありすぎる・・・
YouTubeとかツイッターとかインスタとか。
そこを100%信じて行動するのも正解だと思うんです。
ただ、いろんな情報があることによって、「辞めとこ・・・」ってなるのはもったいないな・・・って自分は思います。
やってみて判断する。
経験するからこそわかることがあるし、それを積み重ねることによって、自分で判断できる能力が身についてくる。
そうなると、自分が挑戦すべきタイミングとかも測れてくると思うんです。
時代の流れもあると思いますが、情報だけを信じて判断するより、自分自身で行動して、見て、体験して、判別して、それを経験として学びにして、行動していく・・・それが自分はオススメかなって思います。
-初めてバックアップした時、どんな気持ちでしたか?
緊張して頭真っ白でした。
でも、リハでコテンパンにされたのは覚えてます。
ダンスが下手というより、ダンサーとしてのノウハウを知らなすぎて。
ジャンルやその踊り方を知ってるというのとはまた別で、アーティストの後ろで踊る、けど、パワーは前に飛ばさないといけない、その魅せ方とか・・・
ステージに立つ人としては、すごく甘い状態でそのお仕事をさせてもらったので、コテンパンにされましたね。
でも本番の記憶はありません。
「ずっとやりたかったことだー!」とかはなかったです。
とにかくずっと緊張していてお腹が痛くて、でも終わった後は清々しかったのだけは覚えています。
-BTSのバックアップもされていましたよね?
本当に運良くやらせてもらいました。
別のオーディションのつながりでいただいたお仕事だったので、どこでどう繋がるかわからないです。
運が良かったです。
でも大きくなればなるほど実感はないですね。
-印象に残ってるステージはありますか?
とあるアーティストのラストステージで、28曲踊ったことですかね・・・
しかも当日にゲネプロと本番をやったので、その日56曲踊ってるんですよ。
本番前に足がつりました(笑)
そして踊りすぎて、ダンサーみんな曲名がわからなくなり、スタンバイしてる時に「え、これ今なんの曲?」って話したのはよく覚えています。
-やっちまったー!って思い出はありますか?笑
みんな下向いてるのに一人だけ大の字で前向いたことですかね(爆)
そーっと下向きました。
お客さんたくさんいるけど、全員と目があった気がしました(笑)
-KEiTa先生でもそういう失敗があるんですね。
全然ある(笑)
-良い思い出も教えてください!
バックダンサーをした時、ライブ終わりにアーティストさんがダンサーの名前を一人ずつ呼んで紹介してくれた時です。
「これめっちゃやりたかったやつだ」って思いました。
バックダンサーとして名前を呼んでもらえる、つまり認知してもらえてるんだって思った時、めちゃめちゃ幸せでしたね。
-バックダンサーとしての活動はどれくらいやってるんですか?
下積み時代を入れると今5年くらいです。
テーマパークを辞めた後、2年バイトして、そこからなので・・・
-なんかもっと長くやっている印象があります。テーマパーク辞めてすぐそういったお仕事に携わっていたんだと思っていました。
全然!
めちゃくちゃ古着屋で査定してました(笑)
でも、アルバイトしてるっていうのは、あんまり出さないようにしてましたね。
別にバイトしてる人が悪いとか、かっこ悪いとかじゃなくて。
自分は先生に対して「ダンサーで食べてる人なんだ」という憧れをすごく抱いていて。
だから自分も生徒にそういう思いをしてほしいと思っていたので、ちょっと隠していました。
謎のプライドですけど。
-いや、それめっちゃ大事だと思います!!!そういう気持ちや行動が実際の姿を作っていると思うので・・・
-さて、少し生徒の話が出ましたが、レッスンをやる時は何を心がけていますか?
自分のクラスは「楽しい!」というよりも、よく生徒から聞くのは「とにかくついていくのに必死」ということを聞きます。
でも生徒がみんな必死についてきてくれるから自分もそれに応えようと思っています。
だから「その時にできてOK」ではなくて、課題が残るようにレッスンしてますね。
みんなが必死になるくらいの振付を持っていってます。
色々な人が色々なレッスンをしてると思うけど、やっぱりその中で自分の色を出していかないといけないと思うので、自分は「難しかったー」って言われるレベルの高いクラスにしてますかね。
・・・こんなこと言ったこないや(笑)
-今後の先生の野望を教えてください。
まだ現役でいられたらいいなって思います。
その中で、現役でいられることってとてもありがたいことだなって最近よく思うので、そういう姿をより多く、生徒や保護者の方や、周りでお世話になってる人たちにより多く見てもらえるように、自分も気持ちを新たに努力していかなきゃなと思います。
あとはすごくシビアな話、いずれは踊れなくなる時が来るので、今自分が学んできたことを、レッスンに来てくれている生徒たちに対してはもちろん、知らない人に対しても伝えられるように、カリキュラム的なものを作って、全国の人たちに届けられたらいいなって思っています。
-最後にhow to flyのみんなへメッセージをお願いします!
正直自分のクラスは難しいし、「できるかな・・・」という不安があると思うんですが、そこの一歩を踏み出せるか踏み出せないかだと思うんです。
それって別にダンスに限った話ではなくて、就職活動で「ここ行ってみたいけど怖いな・・・」と思う企業に挑戦できるかどうかっていうのも同じだと思うんです。
何かに挑戦することは怖いけど、その一歩が今後の視野を広げる一歩になる。
だから、もし自分のクラスに挑戦したいって思ってくれているなら、絶対将来何かためになるクラスになっていると思うので、頑張ってその一歩を踏み出してほしいなって思います。
どなたでもお待ちしています!
-ありがとうございました!
NEW SCHOOL HIPHOP初級
毎週木曜日19:30~20:50
how to fly行徳本校
数多くのアーティストのダンサーを務める経歴を持ち、その他審査員、振り付け、キッズチームプロデュースなど様々な方面で活躍している。
経歴
[MV]
INSOO from MYNAME / 池田彩 / GENERATIONS from EXILE TRIBE / 内田雄馬 / etc…
[choreo]
さとり少年団 / dreaming monster / 山崎薫太 / MYNAME / Sweet Alley / Try Crew Boys / MiLK / etc…
[Dancer]
misono / May’n / __(アンダーバー) / MYNAME /防弾少年団 / ユン・シユン / dreaming monster /
青木隆治 / KING OF PRISM / 山下智久 / 内田雄馬 / 山内恵介 / 超特急 / 声の王子様 / etc…